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勘合貿易⑪ 大内氏の立場から見た『寧波の乱』

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これまで勘合貿易について書いてきましたが、今回は有名な『寧波の乱』(1523年)について取り扱います。

この事件については書籍やネットで調べれば、いくらでも調べることができますが、背景が複雑なため、理解するのは容易なことではありません。

うまく説明するのにはどんなアプローチで事件に迫った方がいいかと迷いましたが、今回は寧波で騒動を起こした大内氏の立場から書いてみます。

*参考文献  勉誠出版 『日明関係史研究入門』 アジアのなかの遣明船 p15~16 p307~311

◆応仁の乱の後、衰退した幕府が勘合を礼銭目的で譲渡したため、貿易の実権は堺商人と結んだ細川氏博多商人と結んだ大内氏の手に移った。

◇明の皇帝から足利将軍に与えられた勘合は、明の皇帝の代替わりすると100枚が交付され、古いものは回収して明へ返却することになっていた。

◇ところが、明が勘合制度を厳密に運用しなかった上に、日本側の権力が分裂(義稙 ⇔ 義澄)して勘合がばらまかれたために、新旧の勘合が併存するという事態が生じた。

◇古い弘治勘合(10代皇帝)は細川氏が、新しい正徳勘合(11代皇帝)は大内氏が持っていた。

➀ 1523年4月、大内方の遣明船3隻(約300人)が寧波に入港。(正徳勘合3枚)

➁ 数日遅れで、細川方の遣明船1隻も入港。(弘治勘合1枚)

➂ 大内方は、早く入港した上に、新しい勘合を持っていたので、明の役人が先に貢納品の臨検をしてくれると思っていた。

➃ ところが、大内方よりも、寧波当局は遅く来た細川方の臨検を優先した。

⑤ さらに、寧波当局が主催した歓迎の宴席では、大内方には下座が、細川方には上座が与えられた。

⑥ この処遇に大内方は激怒し、宴席では激しい罵倒の応酬が交わされた。

⑦ 大内方は、この処遇の違いは、細川方の副使・宋素卿(そうそけい)が明の役人に賄賂を贈ったためだと思った。

⑧ 5月1日、怒った大内方は、官庫を襲い、預けてあった貢納品と武器を強奪して、東南の城門に立て籠った。

⑨ 5月3日、細川方の使節10数名を門外の河岸で斬首の上、死体を川に投げ込んだ。さらに、細川方の船を貢納品ごと焼き払った。

⑩ 細川方(宋素卿を含む。)の70名余は、寧波府及び同衛のはからいで紹興府へ逃げた。

⑪ 治まらない大内方は、寧波衛指揮の袁璡(えんしん)を捕虜として明側の軍船を奪い、逃げる細川方を襲撃。若干名を殺傷、同時に抵抗する住民も殺した。

⑫ 紹興府は城門を閉ざしたので、大内方は、城外から宋素卿を引き渡すように要求した。

⑬ しかしながら、この要求は容れられず、大内方は寧波へ引き返し、寧波衛指揮の袁璡を捕虜としたまま、海上へ逃亡した。

◆この後、まだまだ続きがありますが、省略します。興味のある方は調べてく見てください。

◆賄賂を贈ったとされる、細川方の宋素卿は、明側の捜査と審理を経て死罪とされました。ただ、処刑は実行されず、宋は20年後に獄死しています。

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