この時代は、武将の勢いや、豪商の経済力を反映した壮大で豪華な文化が好まれました。

また、一方で南蛮貿易によって、ヨーロッパの文化も伝わり、日本人に受け入れられました。

さて、もう一つ忘れてはならないのが、庶民にもこの世を楽しむ気風が強まったことです。
以下、草創期の歌舞伎について簡単に紹介します。

出雲阿国(いずものおくに)は、慶長8年(1603)に京都の北野社で「かぶき踊り」を始めたとされています。

➋ 京都国立博物館の『阿国歌舞伎図屏風』は、草創期の歌舞伎を伝える貴重な作品です。
*屏風の中央に描かれている男装の女性が阿国のようです。

阿国歌舞伎図

➌ ところで、下の絵は教科書にも載っている絵ですが、中央の人物は阿国ではありません。

出雲阿国
*徳川美術館所蔵『歌舞伎図巻』二巻の下巻(部分)

➍ 阿国の人気は多くの追随者を生み、女歌舞伎・遊女歌舞伎が流行しました。
今で言うところのパクリのようです。男装の女性の名前はどうやら 采女 というようです。

*このことについては、サントリー美術館「歌舞伎座新開場記念展:歌舞伎──江戸の芝居小屋」展というサイトで詳しく解説されています。

➎ パクリの采女の方は、四条河原で興行して大評判になったようです。
・派手な刀に寄りかかり、ハチマキをしめ、ロザリオをぶら下げています。
・客席には老若男女がいて、南蛮人、南蛮かぶれの日本人、中国人なども描かれえています。

★采女の『歌舞伎図巻』のきれいな画像を見たい人は、http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/cat6037786/ をご覧下さい。