奴隷貿易で大きな富を蓄えたリバプールの商人たちが、マンチェスターの綿工業に投資したことで、この町は工業都市へと大発展しました。

そして、1830年に「リバプール・アンド・マンチェスター鉄道」が開通し、マンチェスターの発展にいっそう弾みが付きました。

工業都市「マンチェスター」と港町「リバプール」はとても近く、Googleマップで調べたところ、電車で50分弱の距離にあります

さて、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道について、ネットで調べてみました。

Wikipediaには、「1823年5月24日、社長兼財務担当のヘンリー・ブース(Henry Booth)とリヴァプール、マンチェスターの商人たちによって鉄道会社が設立された。」と記されています。出資につては、「リヴァプールでは172人が1979株を、ロンドンでは96人が844株を、マンチェスターでは15人が124株を、他の地方の24人が286株を引き受けた。第2代スタッフォード侯爵ジョージ・ルーソン=ゴア(後の初代サザーランド公爵)が1人で1000株を引き受けて、合計で308人の株主が4233株を引き受けている。」とあります。

また、以前で紹介した『リバプールとマンチェスター 世界史小ネタ第40回』というサイトには、次のように記されています。

19世紀に禁止されるまで、この町(リバプール)は奴隷貿易によって潤い続けました。蓄えられた莫大な富はどうなったか。そう、近郊のマンチェスターという小さな「market town」に、一大工業地帯を建設するための資金になりました。

インド、新大陸産の綿花がリバプール経由でマンチェスターに運ばれ、綿織物に加工されて、再びリバプールから世界中へ輸出されました。

1830年には両者を結ぶ世界初の営業鉄道路線が開通。イギリスを「世界の工場」に押し上げたのはリバプールの奴隷商人たちであった、といえば言い過ぎでしょうか。

なお、鉄道の父とよばれるジョージ・スチーブンソン(1781~1848)の息子、ロバート・スチーブンソンにより設計されたロケット号が、このリバプール&マンチェスター鉄道を走りました。

産業革命期のイギリスの鉄道網(1836年頃)

イギリス鉄道の黎明期 ~ アルバート殿下とプラネット号 ~