江戸城の外堀のすぐ外側には、御三家の広大な上屋敷が広がり、下図のように水戸藩上屋敷は小石川、尾張藩上屋敷は市ヶ谷、紀州藩上屋敷は赤坂にありました。
水戸藩上屋敷 | 小石川後楽園 東京ドームシティ |
尾張藩上屋敷 | 防衛省庁舎 |
紀州藩上屋敷 | 赤坂離宮 |
*外堀に赤の点線を引いていますが、溜池より東側については線を引いていません。
1 北側の外堀
江戸城の北側の外堀の役割を果たしたのが神田川で、飯田橋駅の北側には水戸藩邸(上屋敷)がありました。
*仙台藩が飯田橋から秋葉原の区間の掘削工事を行ったころから、仙台掘ともよばれています。
*現在の小石川後楽園と東京ドームシティのあるところが、水戸藩邸に相当します。
*上図の②が水戸藩上屋敷、①は加賀前田藩の上屋敷(東大本郷キャンパス)です。
2 西側の外堀
お城の西側の外堀には、飯田濠、牛込濠、新見附濠、市ヶ谷濠、四谷濠(真田濠)、弁慶濠がありましたが、埋め立てられている箇所が多いようです。
市ヶ谷濠の付近には③尾張藩邸(上屋敷)が、弁慶濠の付近には➃紀州藩邸(上屋敷)ありましたが、尾張藩邸は防衛省庁舎に、紀州藩邸は赤坂離宮になっています。
3 南側の外堀
お城の南側の外堀については、ほとんどが埋め立てられてしまっていますが、赤坂見附から虎ノ門までの間には、溜池とよばれる外堀がありました。
以下、東京さんぽ「溜池の由来」というサイトからの転載です。
長さ1.4km、幅45m~190mといった大きさで、かなり細長い池でひょうたん池とも呼ばれていました。
慶長11年(1606年)に家康に恩義を感じた和歌山藩主浅野幸長の家臣矢島長雲が、現在の特許庁前交差点附近に堰を造って水をせき止めたのが本格的な溜池の始まりでした。堰を越えて流れ落ちる水の音が大きく、「赤坂のドンドン」と呼ばれて、徳川秀忠の時代には、琵琶湖の鮒や京都の淀の鯉を放したり、蓮の花を 植えたりして上野の不忍池に匹敵する江戸名所になり、その眺望は四季を通じて美しかったようです。
*桜田門から霞が関を真っすぐに下ると虎ノ門に至りますが、この付近に溜池がありました。
◇ 私が作成した上地図の⑤は彦根井伊家(井伊掃部守こと井伊直弼)の上屋敷、⑥は仙台伊達家の上屋敷です。
◇ 尾張藩邸、加賀藩邸、仙台藩邸の3つの大名屋敷については、江戸の大名屋敷(別冊宝島)に詳しいことが載っています。
*尾張藩邸についてはp16、加賀藩邸についてはp28、仙台藩邸についてはp42