下図は、書籍やネットを参考に私が江戸初期の海岸線と埋立地を書き込んだものですが、浜松町から日比谷公園、さらに皇居外苑と丸の内にまで深く入り江が食い込んでいたことがイメージできると思います。
*東京の皇居外苑(皇居前広場)と丸の内は、かつては日比谷入江という海が深く入り込んだところで、17世紀初に神田山を削って埋め立てられました。
注1) 江戸初期、隅田川に架かる橋は千住大橋(1594年)だけでした。
注2) 隅田川の河口及び佃島などの島のことについては、詳しいことが分かりません。自然に陸地化したところがあるようです。
注3) 参考とした書籍やWebサイトは次の通りです。
・図解「江戸の大名屋敷」(別冊宝島) p62~
・おおて町再発見 プレイバック!江戸の400年
・日和下駄(東京風景物語) ~ 家康のまちづくり ~
・千代田区立四番町歴史民俗資料館 「虎ノ門と国史跡 江戸城外堀跡」
・tokyo26「東京時層地図」と「TOKYO古地図」で「ブラタモリ・丸の内」の予習をしておく
◆ 上図は、国立国会図書館の「江戸切絵図・御江戸大名小路絵図」を加工し、色分けしたものです。
*上が北になるように左に90度回転させ、大手門を書き込みました。
皇居外苑が西の丸下、丸の内が大名小路に相当する場所で、大手口を加えたこの場所に、親藩や譜代大名、そして老中、若年寄などをつとめる大名の屋敷が集中していました。