◆遣明船による貿易はとても儲けが大きいものでしたが、明朝から朝貢使節へ回賜が10倍返しというのは、正確ではないようです。
◆いつも参考としている勉誠出版「『日明関係史研究入門』 アジアのなかの遣明船」(p9,p10,p379)によると貿易の形態は、➀進貢貿易、➁公貿易、③私貿易の3つに分けられるようです。
➀進貢貿易 | 日本国王(将軍)から明の皇帝への進物(朝貢)と、その逆方向の回賜かあらなる。儀礼上のもので、純粋な経済活動ではないものの、巨額の回賜があり、割のよい貿易と考えれれていた。日本側からは、馬・太刀・硫黄・瑪瑙(メノウ)・金屏風・扇・槍などを進貢し、明朝からは白金や絹織物・銅銭などが与えられた。 |
➁公貿易 | 明政府が日本が持ち込んだ品物を買い上げる貿易(明側の支払いは銅銭・絹・布等)。日本からの主な輸出品は、刀剣・硫黄・銅・扇・蘇木などであった。 *蘇木は東南アジアから琉球を経てもたらされたものの再輸出であった。 |
③私貿易 | 寧波・上京路・北京で民間商人と取引する貿易。 銅・金などの鉱産物や➁の公貿易で明政府から給付された銅銭などを原資に、生糸・絹織物・陶磁器・書画などを購入した。 |
◆朝貢による貿易は➀にあたりますが、貿易全体に占める割合は小さく、➁③による利益の方が大きかったようです。
◆また、貿易の利益はうまくいけば4~5倍にもなりましたが、➋公貿易と➌私貿易における利潤の多寡は、使節の才覚による部分が大きかったようです。