アメリカの工業を教える際、工業都市ピッツバーグについて取扱いますが、教科書には、アパラチア山脈の石炭とメサビ鉄山などの鉄鉱石、そして五大湖の水運を結びつけて、鉄鋼業が盛んになった旨が説明されています。
さて、この町の歴史について少し勉強してみると、五大湖周辺の工業化の背景は勿論のこと、西部開拓の歴史についても理解が深まります。
1 オハイオ領土 18世紀 ・・・・・ ピッツバーグが含まれています。
➀ 17世紀後半、ケベック(カナダ)のフランス人探検家がオンタリオ湖を南下。
➁ イギリス開拓者もアパラチア山脈を越えて中西部に入植。
➂ オハイオ領土とよばれる地域にネイティブアメリカンが居住。
➃ フランスもイギリスもオハイオ領土の領有権を主張。
➄ 18世紀半、フレンチ・インディアン戦争(1755~1763)が勃発。
⑥ イギリスが勝利し、オハイオ領土の領有を宣言。
⑦ 1785年、ピッツバーグがペンシルベニア州の所有となる。
*間違えないでください。ピッツバーグはオハイオ州ではありません。
2 開拓者の大移動が始まる。
◆ 参考 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説『西部開拓史』
➀ 1812年の米英戦争(第2次独立戦争)の後、開拓者がオハイオ川流域を目ざして大移動を始める。
*オハイオ川やエリー運河(1825年開通)など使った海上交通により、奥地へと移動する。
➁ 開拓者たちは ピッツバーグ からオハイオ川を下っていくが、レキシントン、ルイビル、シンシナティなどの川沿いの町々が、未開の原野を開拓するための前進基地となる。
➂ 開拓者たちは、公有地条例(1785年成立)を無視して、勝手に公有地に入植して居座り続ける。
➃ 1862年、彼らの圧力により、160エーカー(約64万7500平方メートル)の土地を無償で自営農民に払い下げるというホームステッド法(自営農地法)が成立。
3 ピッツバーグの工業の発展
➀ オハイオ川を下って目的地に行こうとする開拓者がピッツバーグに殺到。
➁ 造船業やガラス産業、鉄鋼産業などがさかんになる。
➂ 南北戦争の際、鉄鋼の需要が高まり軍需産業の一大拠点となる。
➃ 南北戦争の後、アンドリュー・カーネギーが近郊の町に鉄工所を創設。
➄ 全米最大の鉄鋼会社USスチールの本社がピッツバーグに置かれる。
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