江戸城の本丸と西の丸の東側には、親藩や譜代大名、そして老中、若年寄などをつとめる大名の屋敷が集中していました。

*具体的には、皇居外苑(西の丸下)、丸の内(大名小路)、大手口になります。

嘉永2年(1849)年の大名小路神田橋内内桜田之図という絵図をもとに、当時の老中の大名屋敷を調べたて作成したのが、下図です。 *原図を左に90度回転しています。

嘉永2年当時の老中は、➀阿部正弘、➁松平忠優、➂戸田忠温、➃牧野忠雅、➄松平乗全の5人で、番号はその屋敷の場所をあらわしてます。

➀ 阿部伊勢守 阿部正弘 福山藩 備後
➁ 松平伊賀守 松平忠固 上田藩 信濃
➂ 戸田山城守 戸田忠温 宇都宮藩 下野
➃ 牧野備前守 牧野忠雅 長岡藩 越後
➄ 松平和泉守 松平乗全 西尾藩 三河

◇ ⑥は御三卿一橋家の屋敷で、徳川慶喜が住んでいたと思われます。*1847年、一橋家相続

◇ ⑦⑧は松平越前守こと、松平慶永(松平春嶽)の屋敷で、⑦が上屋敷、⑧が中屋敷です。

*上屋敷・中屋敷・下屋敷の区別をするときは、藩邸のマークに注目してください。上屋敷には家紋が入っています。のマークは中屋敷、のマークは下屋敷です。

◇ 大手門の目の前に⑨上屋敷と⑩下屋敷の2つの屋敷を構えるのは、姫路藩の酒井雅楽頭です。*雅楽頭は「うたのかみ」と読むようです。

◇ ⑪は武蔵の岩槻藩・大岡家の上屋敷ですが、この大岡家は、徳川吉宗のもと江戸南町奉行として活躍した大岡忠相(大岡越前)の大岡家とは遠戚になるようです。

* 嘉永2年の絵図と慶応元年の絵図「御曲輪内大名小路絵図」(東京都都立図書館TOKYOアーカイブ)を比べると、⑪の屋敷は歩兵屯所になっています。幕末の動乱と関係があるのかもしれません。

◇ ⑫⑬は松平内蔵頭とありますが、岡山藩(池田家)の大名屋敷です。⑫は上屋敷、⑬は中屋敷が建っており、中屋敷の敷地は、現在のJR東京駅の南西部分に相当します。

*江戸東京岡山を歩く-藩邸跡は今 岡山藩中屋敷跡(丸の内)