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生麦事件と薩英戦争➀ 青年実業家リチャードソン

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◆皆さんは、下の写真を見たことはありますか。

Charles Lennox Richardson 1834年 ~ 1862年

◆これは薩摩藩士に殺害されたイギリス人の遺体で、名前はリチャードソンといいます。

チャールズ・リチャードソン  1834~1862年

➀ロンドン出身の青年実業家。中国の上海で財を成す。
➁1862年、上海の仕事を引き払ってロンドンへ帰る途中、観光目的で初来日。(7/2)
*横浜から家族に送った手紙(9/3付け)が残っている。
*日本について「日本はイングランド以外で私が訪れた最高の国」「江戸という都市のすばらしさは驚きです」と記している。
③横浜において、以前上海で交友のあったクラーク(イギリス人)と再会。
*クラークは、ハード商会横浜支局(アメリカの商社)に勤務。

◆リチャードソンは、横浜居留地に住んでいたクラークとマーシャルから、川崎大師への乗馬ピクニックに誘わました。
*マーガレットという女性もいっしょで、彼女はマーシャルの義理の妹。たまたま香港から横浜に来ていました。

◆そして、島津久光の一行が江戸から朝廷の勅使を連れて京都へ戻る途中、あの有名な生麦事件が発生しました。

[生麦事件] 1862年9月14日 *旧暦:文久二年8月21日

・14:00頃、生麦村において、4人のイギリス人が乗馬したまま島津久光の大名行列と遭遇。
・薩摩藩士に斬りつけられ、リチャードソンが死亡。
・クラークとマーシャルも傷を負うが横浜の本覚寺に逃げ込む。
・マーガレットは無傷で居留地に戻る。

*ゆっくりと馬に乗ったまま行列に向かってくるイギリス人に対して、薩摩藩士は「無礼だ。下馬しろ。」と身振り手振りでどなったが、彼らは理解できずに乗馬したまま行列の端を進んだ。
*久光のかごの近くまで来たとき、リチャードソンは奈良原喜左衛門に左肩から無礼打ちにされ、内臓の一部が飛び出る致命傷を負った。
*馬を走らせて逃げるが、薩摩藩士たちに斬りつけられ右手首を失い、1㎞ほど離れた村の外れで落馬。
*最後は久木村利休と海江田信義がとどめを刺した。

◆生麦事件の直前、アメリカ人のヴァン・リードという人物も、久光一行の大名行列に遭遇しています。
*彼は、横浜のアメリカ総領事館に書記生として勤務。

*ヴァン・リードは日本の習慣をよく理解しており、馬から下りて道の端に移動して大名行列に道を譲り、脱帽して礼を示しています。また、生麦事件のことを後で知り、イギリス人の非礼が招いたことだと述べています。

◆下の動画で、上海、横浜、川崎大師、生麦村、保土ヶ谷の場所を確認しましょう。
*事件後、久光一行は保土ヶ谷に宿泊しました。
*横浜の居留民たちは報復をしようとしますが、イギリス代理公使ジョン・ニールは彼らを諫め、報復を思いとどまらせています。

◆2012年にNHK・BSで放送された『幕末大転換!逆境に活路を開け「横浜・生麦事件」/NHK・BS歴史館』という動画をYouTubeでを見つけた。
*約58分、けっこう長いですがとても参考になります。

◆次の投稿も引き続きご覧ください。

生麦事件と薩英戦争➁ 過激な攘夷論者ではない久光

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