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君主制と立憲主義の並立を目指した明治憲法

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◆ 1881年(明治14年)10月の国会開設の勅諭により、国会の開設と欽定憲法を定めることを表明した政府は、憲法の作成に取り掛かります。

一方、民間でも数多くの私案(私擬憲法)がつくられますが、保安条例(1887)の拡大解釈により、私擬憲法を議論すること自体が禁じられてしまいます。

まず、伊藤博文の命を受けた井上毅が、政府の法律顧問(ロエスレルとモッセ)の協力を得て原案を作成しました。

そして、伊藤はこれを叩き台として、伊東巳代治、金子堅太郎らとともに憲法草案を作成します。

◆ 歴史の授業でも、子どもたちにも憲法の草案作りの苦心について関心をもってもらいたいものです。

そこで私は、下の広用紙を黒板に張り付け、子どもたちに「欧米諸国に負けない国づくりのためにどんな憲法をつくるべきだろう」という課題を与えて、自分が必要と思う項目にシールを貼らせています。

◆ 伊藤らの案をもとに、明治21年(1888)6月から枢密院において、憲法の審議が行われますが、伊藤博文と森有礼の「臣民の権利」についての論争は有名です。

森は「臣民の分際」と修正するように提案しました。ここで言う分際とは、『身の程』とか『〇〇ごとき』という意味ではなく、『責任』という意味のようです。

これに対して伊藤は、憲法に臣民の権利を列記せずに責任だけを記載するならば、そもそも憲法をつくる必要がないと森の意見を退けました。

次の文章は伊藤から森に対する反論の枢密院・記事録です。

十四番(森)ノ説ハ、憲法学及国法学ニ退去ヲ命シタルノ説ト云フヘシ。抑憲法を創設スルノ精神ハ、第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ。故ニ若シ憲法ニ於テ臣民の権利ヲ列記セス、只責任ノミヲ記載セハ、憲法ヲ設クルノ必要ナシ。又如何ナル国ト雖モ臣民ノ権利ヲ保護セス又君主権ヲ制限セサルトキニハ、臣民ニハ無限ノ責任アリ、君主ニハ無限ノ権力アリ、是レ之ヲ称シテ君主専制国ト云フ。故ニ君主権ヲ制限シ、又臣民ハ如何ナル義務ヲ有シ如何ナル権利ヲ有スト憲法ニ列記シテ、始メテ憲法ノ骨子備ハルモノナリ。(以下略)

*この議事録は、大日本帝国憲法審議での伊藤博文と森有礼の「臣民の権利義務」論争 というブログからの引用です。

◆ ところで、伊藤らが作った草案は、明治21年(1888)6月頃から8月にかけて、神奈川県金沢の東屋旅館や伊藤の別荘のあった神奈川県の夏島で審議されたため、夏島草案とよばれています。

この夏島草案は、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができ、驚いたことに訂正の書き込みも残っています。

*絶対君主制を維持しながらも、天皇の権限を制限する立憲主義の要素を盛り込もうと苦心した様子がうかがえます。

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