寛永12年(1635)、武家諸法度によって参勤交代が明文化・義務化されたことにより、各大名は、国許と江戸において二重生活をすることになりました。
そして、江戸屋敷には 留守居役 という役職が置かれましたが、その仕事内容について、歴史人「大江戸 武士の暮らし図鑑」 を参考に説明します。
1 江戸屋敷に詰める藩士は、勤番と定府に分けられます。
勤番(きんばん) 国許から単身赴任でやって来て、短期間(普通は1,2年)だけお役を務める藩士。
定府(じょうふ) 江戸屋敷に常駐して藩庁の執務や仕事を担う藩士。妻子と暮らしている。
2 常府で最も重要な役職が留守居役でした。
・幕府や諸藩との連絡・調整や情報収集を担う。
・役を拝命するのは中級藩士が多かった。
・名称は藩によって異なり、公儀人、聞役などとよばれていた。
3 留守居役は、藩主の江戸登城に同行しました。
・主君が用事を済ます間、殿中で幕府の役人や御坊主衆(おぼうずしゅう)と接触し、情報の収集にあたった。
4 他藩の留守居役と組合をつくり、頻繁に会合を開いて情報交換を行っていました。
・江戸中期以降、料理茶屋(高級料亭)や吉原などで参会することが多くなった。
・こうした茶屋は留守居茶屋と称され、彼らの豪遊は巷間の批判をかい、時には幕府の取り締まりの対象となった。
5 留守居役がもたらす他藩からの情報は極めて重要でした。
・彼らには膨大な交際費が与えらえた。
・細川藩(肥後)では千両もの大金が自由にできたとされる。
・江戸詰の藩士の門限は厳しかったが、留守居役は例外とされた。