◆五大湖周辺で工業が発展する契機となったのが、エリー運河の開通です。また、エリー運河の開通によりアメリカの産業革命が始まったという見方もあるようです。
◎1825年に開通したエリー運河は、エリー湖とハドソン川をつなぐ運河で、この運河によりニューヨークと五大湖が船で行き来できるようになりました。
◎インターネットでエリー運河について調べていたところ、奈良教育大学の先生が開設されてあるウェブサイトを見つけました。これはWikipedia(英語版)を翻訳したもののようですが、一読をお勧めします。
1 建設の背景
まず、運河が建設された背景として、東海岸と内陸部との輸送にはとても時間がかかっていたということを押さえておく必要があります。自動車はもちろん鉄道もなかった時代には、馬やロバなどの動物による運搬に限られていました。
1800 年頃は、ニューヨークからクリーブランドまでは2.5週間(740km)、 デトロイトまでは4週間(985km)もかかりました。
東部と中西部の間にはパラチア山脈があります。この山脈は、標高1000メートル以下の山が多くなだらかなのが特徴です。ただ、山が幾重にも重なり谷が深く狭いために、東部から中西部へこの山脈を超えることは大変困難なことでした。
*参考ブログ アメリカよもやま話 - アパラチアの文化 –
2 運河のルート
アメリカ合衆国最大の大都市はニューヨークです。 では、ニューヨーク州の州都をご存知ですか。
地図帳で、ハドソン川を北にさかのぼってみてください。オールバニー(Albany)という町が見つかると思いますが、ここが州都です。この町は、エリー運河の開通を契機に大きく発展しました。
バッファロー(エリー湖東岸) ⇔ オールバニー(ハドソン川)
上の地図を見ると分かるように、エリー運河はアパラチア山脈の切れ目に立地しています。ただ、エリー湖とハドソン川の高低差が172mもあるため、35基の水門 があります。
3 運河の開通による影響
➀エリー運河の開通により輸送コストが下がったため、中西部から東部へは農産物の輸送が、逆に東部から中西部へは工業製品の輸送が増えた。
➁イギリスに対する、アメリカ中西部からの小麦の輸出が増加した。(イギリスの穀物法撤廃後)
➂ニューヨーク港がアメリカ中西部とつながり、その母港となったことで、ニューヨーク市は国際貿易心地として発展した。