幕末に流入した歩兵銃(小銃)について
幕末から戊辰戦争・明治維新に至るまでの歴史を考える上で、銃の歴史を少しかじっておくと、違う視点で歴史を見ることができます。
以下、「 歴史の中の鉄炮伝来 」-種子島から戊辰戦争まで-(2006年:国立歴史民俗博物館)を参考に説明します。
マッチロック式
(火縄式)⇒ ⇒ ⇒ |
フリントロック式
(火打ち式)⇒ ⇒ ⇒ |
パーカッションロック式
(管打ち式) |
1. フリントロック式(火打ち式)
・火薬を発火させることで弾を撃ちだすのですが、火縄銃はやがて火打石を利用したものへと変化していきます。
・火打石を利用したものをフリントロック式といいますが、17世紀初頭にフランス人のマラン・ル・ブールジョワよって完成されたという説が有力のようです。
2. パーカッションロック式(管打ち式)
・雨や風などの悪条件でも確実に発火させるために、19世紀の初め頃から、パーカッションロック式の銃が使われるようになります。
・私は銃砲刀剣類の登録事務をしたことがあるのですが、パーカッションロック式を管打ち式(かんうちしき)とよんでいました。
・戦場の兵士たちはキャップのような雷管をたくさん持ち運び、それを銃のニップルに装着して使っていました。
・上の写真はシャープス銃の雷管です。1個のブリキ缶に1000発の真鍮製円盤が入っています。(長野・真田宝物館所蔵)
3. ミニエー銃
☆パーカッション式の中でも、1849年にフランス陸軍のミニエー大尉が開発した「ミニエー銃」はとても有名です。
☆ミニエー弾(拡張式弾丸)について上の図で説明します。
①口径よりもやや小さい弾丸を、銃口から押し込みます。これ以前の銃では、鉛の弾丸の直径と口径がほぼ同じであり、弾丸を銃口から押し込む際には、槊杖(さくじょう)で突く必要があり、装填にとても時間がかかっていました。
②発射時には、弾丸のすそがガス圧でスカート(キュロット)のように広がって、銃身の螺旋状の溝(ライフリング)に触れてスピンがかかるように工夫されています。
・1861年にアメリカで南北戦争がはじまりますが、北軍はスプリングフィールド銃を、南軍はイギリス製のエンフィールド銃を使用しました。
4. 日本への大量流入
☆幕末維新の動乱の際には、欧米から多種多様で新旧混ざり合った銃砲が大量に流入しました。
◇エンフィールド銃
国立歴史民俗博物館所蔵(1867年型:英国製) 前装式
◇スナイドル銃
国立歴史民俗博物館所蔵(1869年型:英国製) 後装式
*スナイドル銃は、前装式のエンフィールド銃を後装式に改造したもの
◇スプリングフィールド銃
武蔵村山市歴史民俗資料館所蔵(1855年型:日本製) 前装式
*アメリカ陸軍のスプリングフィールド銃(1855年型)をモデルに幕府が製造。