日清間における琉球帰属問題

昨日、「新政府による沖縄県の設置」というタイトルで、明治時代の教材を1つ投稿しました。
この単元は、現在の沖縄をめぐる問題を理解する上でとても重要です。

(1) 琉球王国琉球藩となり、さらに沖縄県が設置される過程で、日清の間で ”帰属問題” が発生した。
*教科書では ”所属問題” と表現さている。
*江戸時代の琉球は、幕府や薩摩藩の支配を受ける一方で、清へ朝貢していた。

(2) この頃、琉球の人々の間には様々な意見があった。
*教科書には、➀琉球王国の存続を求める意見、➁日本人と同じ権利を求める意見、➂沖縄の独自性を訴える意見が紹介されている。

(3) 新政府は、軍隊や警察の力を背景に沖縄県を設置。その後、沖縄をめぐる帰属問題は次のように展開する。
➀ 日本は清と話し合いをして、①沖縄本島は日本の領土、②宮古と八重山は清に譲るという取り決めをした。
➁ その後、清は方針を転換し、琉球王国の存続を求めるようになった。
➂ 最終的には、日清戦争に日本が勝利したことで、沖縄の帰属問題は決着する。

(4) 沖縄県になっても琉球王国の頃と同じような統治が行われた。
・教科書には宮古島にある ”人頭税石” の写真が掲載さている。
・この石の伝承は疑わしいものの、沖縄県が設置される以前、琉球王国により宮古島・八重山諸島に対するきつい支配がなされていたことは史実である。
・20世紀になって、ようやく地租改正が実施され、国政への参政権も与えられた。

◆日清両国が、①沖縄本島は日本の領土、②宮古と八重山は清の領土、という取り決めをしたのは、琉球が宮古島・八重山諸島を支配していたという史実と関連があるのかもしれません。
*沖縄の人にとって、日清両国がこのような取り決めをしていたというのは不愉快なことだと思います。
*沖縄本島と宮古島の人があまり仲が良くないという話を聞いたことがありますが、琉球王国時代の歴史が影響しているのでしょうか。

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