柳条湖事件 『満鉄外史』(著:菊池寛)より

私は、タブレットにインストールした【NHKネットラジオ らじる★らじる】というアプリを使って番組を聴くことがありますが、聴き逃した番組も配信されているのでとても便利です。

最近は、朗読という番組で放送された「満鉄外史」(菊池寛著)を、”聴き逃し”のメニューから聴いています。

このシリーズは全40回ですが、第37回で満州事変のきっかけとなった柳条湖事件(1931年)が朗読されたので、とても気になって、Amazonで満鉄外史(復刻版)を購入しました。

「満鉄外史」は、菊池寛が、満州新聞社の依頼により、実際に満州に渡って取材して執筆したもの(太平洋戦争の直前、1941年11月の作品)です。

柳条湖事件については、復刻版のp396以降に次のような内容が記されていますので紹介します。ただ、史実が本当にこのようなものだったのかは、ちょっと怪しい個所もあります。

(1) 1931(昭和6)年当時、奉天で旅館(ホテル?)を営む田実(たじつ)という経営者が、9月18日の夜に轟然(ごうぜん)たる音響を聞いた場面から始まります。

(2) そろそろ寝に就こうという時刻だったと記されていますが、実際の事件は午後10時20分頃に起こっています。

(3) この頃、奉天に住んでいた日本人たちは、このような事件が起こりそうだという共通の認識というか、予感があったようです。

田実は着流しのまま戸外へ飛び出した。街には大勢もう人が出ていて、何事が起こったのかと、みな気づかいながら、音響のした方に気をとられて、噂し合っていた。
「鉄道の方にぱっと火の手が上がったというじゃありませんか」
「柳条湖あたりだったと言いますよ」
鉄道? 人々の話を聞きながら、田実は何か直感的に来るものがあった。音響と同時に細君に向って、
「事によると・・・・・」
と言ったことが、どうやら杞憂でないらしく思われたのである。9月18日 ― 田実は何気なく日が頭に浮かんでいた。その日に特別の意味があるはずもないのだったが、何か容易ならぬ一大椿事が、いつかは一度爆発しそうなその頃の奉天の形成だったからだ。

さて、「満鉄外史」の序章には、松岡洋右(昭和16年7月まで外相)も寄稿しています。考えてみれば、松岡は満鉄の総裁を務めたことのあることから当然でしょうが、彼は最後を次のような言葉で締めくくっています。

偶々(たまたま)菊池君は、其の独自の解釈と、定評ある麗筆を以て此の一大史劇を満州新聞紙上に連載された。私は、菊池君の「満鉄外史」を通じて、此の光輝ある満鉄魂が、大東亜の隅隅まで普及されんことを希望して止まない。

◇ 柳条湖事件については、『歴史的分野』のメニューに投稿します。


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