授業のミニレポート ~ 列国による清国分割 ~
今日、下関条約と三国干渉について授業をしましたが、気付いたことというか、思いついたことをご報告します。
列国による中国分割の地図を見たときの今日の子どもたちの反応から、次のように展開すればポイントを押さえることができると思いました。
*実際の子どもからの質問と、私の回答に対する生徒の反応は若干違います。
S
・なぜ日清戦争の後、清国は列国から分割されたのですか。
T
・これまでは、清国に対して権益を要求するのを遠慮していました。
・しかし、列国は清国が負けたことで、その実力は大したことないと思うようになりました。
・分割のきっかけとなったのは、多額の賠償金と関係があります。
S
・なぜ賠償金が列国の中国分割のきっかけになったのですか。
・それから、清国は賠償金をどうやって支払ったのですか。
T
・国内ではまかなえなかったので、外国に借りることにしました。
・どこから借りたと思いますか。
S
・ロシアだと思います。
T
・まずロシア・フランスから借りました。
・次にイギリス・ドイツから借り、その後、さらにイギリス・ドイツから借りています。
・そして下関条約に基づいて、8回に分けて支払っています。
・借金を理由に、列国は清国に次々に権益を要求しました。
S
・どんな権益を要求したのですか。
T
・鉄道を敷く権利や港町を租借することを要求しました。
*教科書の資料(清国分割)を見せながら、露英独仏の勢力範囲を確認。
・ロシアが満州に鉄道(東清鉄道)を敷いていることを、教科書の資料で確認してください。
*シベリア鉄道と並行していることを説明。
・ところで、三国干渉で日本が返還したのはどこですか。
S
・遼東半島です。
T
・遼東半島は、返還後すぐにロシアが借りています。
・そして、旅順・大連の港町を整備し、鉄道の建設を始め、満州北部の鉄道とつなげました。
S
・お金を借りるというのは、他国から侵略を受けるきっかけになるので、借金はできるだけしないほうがいいですね。
T
・自分で鉄道を敷くために外国から借金をし、地道に利益を出して返済するのは国の発展のためによいことです。
・清国の場合は、賠償金の支払いのために借金をすることは仕方なかったのかもしれません。
・でも列国のやり方は、当時の常識ではあったのでしょうが、今から考えるとやりすぎのような気もします。
◆ いかがでしょうか。このように展開できれば、賠償金を列国による清国分割と結び付けて理解してくれるかもしれません。それから、ロシアの満州進出のことをここでしっかりと押さえておけば、義和団事件、日英同盟、日露戦争へとうまくつなげることができると思います。
ロシアの満州進出の流れ
・1896年9月、東清鉄道密約(露清カッシニ密約)が結ばれる。清国は、ロシアが満州里(清)-グロデコヴォ(露)間の約150kmに鉄道を敷設し、これを80年間所有することを承認。
・1898年5月、ハルビンを起点として東西に向けて工事が開始された。
・1898年3月、ロシアは清国に対して遼東半島の租借を強要、条約の調印にこぎつけた。
*この条約は、満州北部の路線工事の着工の2か月前に結ばれたことになる。
*旅順・大連の租借期間は25年であった。鉄道の方は、36年後には清国がロシアから買い取れることになっていた。