ヤマハ・スズキ・ホンダの創業について
東海地方を代表するヤマハ・スズキ・ホンダの3社について気になったので、ちょっと調べてみました。
*ネットで調べた範囲では、いずれも浜松発祥のようです。(間違っていたらすみません。)
*浜松市・産業部産業振興課の「バイクのふるさと浜松」というサイトがお勧めです。
1. ヤマハ発動機
◇ 山葉寅楠(1851~1916)
・1888(明治21)年、日本初の本格的オルガンの製造に成功。
・1889(明治22)年、山葉風琴製造所を設立する。
・1891(明治24)年、山葉楽器製作所を設立。
*1897(明治30)年、日本楽器株式会社に改組。
・1921(大正10)年、陸軍の要請により、軍用航空機の木製プロペラを製造。
・1938(昭和13)年、陸軍管理下の軍需工場となり、金属プロペラを生産。
・1954(昭和29)年、オートバイの試作車が完成。
・1955(昭和30)年、二輪製造部門が独立し、ヤマハ発動機が設立される。
・同年、ヤマハ・YA-1(通称:赤トンボ)を生産・発売。
*ヤマハ発動機のHPの「ヤマハヒストリー」を見ると歩みがよく理解できます。
2. スズキ株式会社
◇ 鈴木道雄(1887~1982年) 生誕:濵名群芳川村(現浜松市)
・1909(明治42)年、鈴木式織物製作所として浜松で創業。
・1945(昭和20)年、本社を相生町から可美村高塚へ移転。
・1952(昭和27)年、自転車補助エンジン(36cc)「パワーフリー」を販売。
・1953(昭和28)年、排気量60ccの「ダイヤモンドフリー」を開発・生産。
・1954(昭和29)年、本格的125ccの二輪車「コレダ号」を販売。
*コレダ号の製造を機に、社名を鈴木自動車へ変更する。
・1955(昭和30)年、軽四輪車「ズズライト」を販売する。
3. ホンダ(本田技研株式会社)
◇ 本田宗一郎(1906~1991年) 生誕:静岡県磐田郡光明村
・1922(大正11)年、東京の自動車修理工場「アート商会」に入社。
・1928(昭和3)年、浜松にアート商会の支店を設立、独立する。
・1937(昭和12)年、東海精機重工業株式会社の社長に就任。
・1945(昭和20)年、東海精機重工業株式を退社する。
*旧陸軍が所有していた無線機の発電用エンジンを、自転車の補助動力にすることを思いつく。
・1948(昭和23)年、本田技研工業株式会社を創立。
・1949(昭和24)年、ドリーム号を浜松の工場で完成させる。
・1952(昭和27)年、本社を浜松から東京へ移転する。
・同年、カブFを販売。 *白いタンク・赤いエンジンカバー
・1958(昭和33)年、スーパーカブの発売開始。
・1963(昭和38)年、小型スポーツカー・S500 と 軽トラック・T360を販売。
・1966(昭和41)年、東京モーターショーで軽乗用車・N360を発表。翌年販売。
*ホンダのホームページ 「会社案内・ヒストリー」 や 「語り継ぎ地こと~チャレンジの50年~」 も参考になります。
*お勧めは、Honda原点コミック(動画コミックで知る原点)です。
*戦前・戦中の本田宗一郎については、<自動車人物伝>本田宗一郎(1946年)というサイトが参考になります。