開拓者を阻んだアパラチア山脈
皆さんはアパラチア山脈と聞いてどんな印象がありますか。
地理の授業では、西に標高の高いロッキー山脈、東に標高の低いアパラチア山脈、その間にグレートプレーンズ、プレーリー、大平原があるというように教えているのは、社会科の教師なら皆同じだと思います。
さて、アパラチア山脈について「アメリカよもやま話」という面白いウェブサイトを見つけたので紹介します。
確かにアパラチア山脈は、標高1000メートル以下の山が多くなだらかなのが特徴です。
しかしながら、山が幾重にも重なり谷が深く狭いために、東部の開拓者たちがこの山脈を超えて中西部へ向かうことには大変な困難が伴いました。
このサイトには、険しい山脈を超えるのではなく、山脈に住みつくことを選択したヒルビリー(hillbilly)についても詳しい説明があります。
★それから、エリー運河についても、次のような解説があります。(原文のまま)
1825年に、ニューヨーク州内陸部のバッファローとオルバニーをつなぐエリー運河が開通すると、アメリカ国内の交通事情は一変します。アメリカきっての貿易港であるニューヨークから、ハドソン川を遡ってオルバニーに出た船が、エリー運河を通ることで、五大湖のひとつエリー湖畔のバッファローまで行けるようになりました。五大湖は水系でつながっていますので、バッファローを出た船は、中西部の要所であるシカゴまで行くことができました。つまり、ニューヨークの港からシカゴまで、船による運輸が可能になったのです。
★エリー運河については、私が投稿したした下の頁もご覧ください。