ギニア湾岸の西アジア諸国、 コートジボワール と ガーナ 、そらからナイジェリア、カメルーンにおいてはカカオ豆の生産がさかんですが、帝国書院の教科書には、ガーナのカカオ農園について次のように記載されています。

ガーナでは、イギリスの植民地支配の下で、港や鉄道、道路がつくられました。そこに農産物の輸出を扱う企業が進出して、カカオの栽培を始め、プランテーションとよばれる大規模な農園を建設しようとしました。しかし、カカオは収穫できるまでに時間がかかり、すぐに利益をあげようとする企業には向きませんでした。そのため、カカオの栽培は現在でも企業主体ではなく、農家が中心となって行っています。

何とも微妙な言い回しです。ちなみに、プランテーションついての教科書の解説は次の通りです。

おもに熱帯地域にみられる大規模な農園をいいます。多数の労働者を雇い、輸出を目的とした作物が大量に栽培されています。歴史的には、植民地支配を行ったヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国などの企業が運営してます。

ということは、ガーナはイギリスの植民地支配を受けたものの、ヨーロッパ諸国の資本による大規模な農園開発と経営は行われいないということですので、ガーナの農園はプランテーションの定義とは少しずれているような気がします。

★★★★★

yahooニュース ~ ガーナは「チョコレートの国」か? チョコレートにみる「矛盾との向き合い方」~ には次のように記されています。(転載)

ガーナでのカカオ豆生産も、やはり19世紀からの英国による植民地支配のもとで本格化しました。逆に言えば、それ以前のガーナの人々にとって、カカオ豆は全くといっていいほど馴染みのないものでした。

外から持ち込んだカカオ豆を生産させるため、英国は巧妙な仕組みを作り出しました。まず、現地人に人頭税などの税金を課します。しかし、植民地化以前のアフリカでは貨幣がほとんど使用されていなかったため、現地人は税金の支払いに困ります。払わなければ、逮捕・投獄されるのは、目に見えています。そのなかで英国人はカカオの苗木などを現地人に提供し、生産されたカカオ豆を買い上げることで、現地社会に貨幣を流通させていきました。これによって、英国は税金を集める一方で、カカオ豆の生産を促していきました。そして、現地人が生産したカカオ豆は、英国が設立した専売公社(マーケティング・ボード)が独占的に買い上げ、輸出していったのです。

★★★★★

次の文章は、SYNODOS ~ 移民と地元民をつなぐ作物――ガーナにおけるカカオ生産とコーラナッツ交易 ~ からの転載です。これを読んでみると小規模な農園だけでなく、ヨーロッパ諸国の資本が経営する大規模な農園も開発・経営されていたように思われます。

19世紀後半、ヨーロッパ諸国は西アフリカにおける植民地化を進め、パーム油やラッカセイ、カカオ、コーヒーなどの農業生産の部門で奴隷を使った生産体制を南部の森林地帯に広めた(Candido 2011)。このとき奴隷とされていたのは、現在のブルキナファソやコートジボワール北部、ガーナ北部などのサバンナ地帯に暮らす人びとであった。奴隷制度が廃止された後も、西アフリカ南部の森林地帯における農業生産では、サバンナ地帯からの移民労働者が主力になっていった。

★★★★★

次の動画では、20世紀初頭にチョコレートの需要が増加したことから、先進国の企業がガーナの農民にカカオ豆の栽培を奨励し、それを受けて農民たちがカカオ豆の生産を増やしていった旨の解説があります。それから、国際価格に経済が左右されるモノカルチャー経済についての矛盾点についても触れています。

★★★★★

ちなみに、ネットでいろいろ調べてみると、イギリスの植民地支配を受けたガーナには小規模な農園が多いようですが、フランスの支配を受けたコートジボワールには大規模な農園が多いという書き込みもありました。