日清戦争の敗北により、清国は日本へ2億両(テール)の賠償金を払うことになりました。

このことは、下関条約の第4条に「清国ハ軍費賠償金トシテ庫平銀二億両ヲ日本国ニ支払フヘキコトヲ約ス右金額ハ都合八回ニ分チ」と記されており、8回の分割払いでした。

賠償金の支払いのために、清国は国内向けに国債を発行しようとしたのですがうまくいかず、列国からの借款で対応しました。

この借款が列国による清国の分割に拍車をかけたのですが、藤村道夫著『日清戦争』のp220~p221には、次のように記されています。

・清国は敗戦で弱体化を暴露したうえ、列強の勢力をかりて日本の要求を阻止しようとしたため、かえってこれまで清帝国の周辺にとどまっていた列強の手を本土までまねきよせた。

・その契機は日本への償金2億3000万両支払いのための露仏借款4億フランと、翌年それに対抗して貸し付けられた同額の英独借款によってあたえられた。

・借款の後からは利権と租借の大進軍が続いた。

*ロシア・フランスからの借款は1895(明治28)年、イギリス・ドイツからの借款は1896(明治29)年、さらに英独からは、1898(明治31)年にも借款を受けています。

◆ 列国が獲得した具体的な権益については、次のように記されています。

・露清銀行の創立、露清密約と東清鉄道協定、ビルマ鉄道の雲南延長、ドイツの膠州湾占領とその租借、ロシアの旅順、大連湾租借、イギリスの威海衛租借という、下関条約成立直後から義和団蜂起にいたる一連の事実はそのことを証明している。

・ロシアはそれまでの18隻4万トンに戦艦6隻を増派して、10万トンの大艦隊とし、フランスは9隻2万トンの極東艦隊を、ドイツは7隻2万1000トンの東洋艦隊を派遣し、イギリスはこれに対抗して31隻7万トンの艦隊を配置した。

◆ ロシアの東清鉄道敷設と旅順・大連租借については、私が投稿した次の頁をご覧ください。

満州と日本 ② ~ 三国干渉後のロシアの満州経営 ~