今回は、リットン調査団の報告と日本の国際連盟脱退に関する部分について、各教科書の記述を拾ってみました。

➀ 国際連盟の総会が「満州国」を承認せず、日本軍の占領地からの撤兵を勧告した。(全社)
*占領地からの撤退を勧告しているが、満鉄沿線の警備のための駐屯までを否定をしてはいない。(1社)

➁ リットンの報告書の中には、満州における日本人の安全と権益が脅かされていることと、日本の権益を認める旨の内容が含まれている。(3社)

1.育鵬社 p228

満州事変に対して,国際連盟はリットン調査団を派遣しました。調査団は中国側の排日運動を批判して日本の権益が侵害されていたことを認めつつも,満州国を独立国家とは認めませんでした。1933(昭和8)年,国際連盟の総会も満州国を認めず,日本軍の満鉄沿線への撤兵を求める決議を可決したため,日本政府はこれに反発して連盟を脱退しました。その一方で,中国政府とのあいだで停戦協定を結び,事変を決着させました。

2.教育出版 p217

国際連盟は,イギリスなど5か国の代表者からなる調査団を現地に派遣して,実情を調査させました。そして,その方向をもとに,1933年2月,「満州での権益は認めるが,満州占領地から撤兵するように。」という勧告を可決しました。しかし,日本はこれを受け入れず,3月に国際連盟を脱退しました。

3.清水書院 p231

統一と外国の勢力の排除を目指していた中国民衆はこれに抗議し,ワシントン会議で中国の現状維持を取り決めていた列強も日本の行動を批判した。国際連盟は現地に調査団を派遣し,満州国が独立国家とはいえないとする報告書をまとめた。1933年,国際連盟の総会でこの報告書が採択されると,日本は国際連盟を脱退した。こののちも日本政府はアメリカやイギリスとの協調外交を保とうとしたが,軍の内部ではそれに反発する意見が強まった。

4.自由社 p231

アメリカを始め各国は、満州事変をおこした日本を非難した。国際連盟は満州に、イギリスのリットン卿を団長とする調査団(リットン調査団)を派遣した。調査団は、満州における日本の権益の正当性や、満州に在住する日本人の権益と安全がおびやかされていることを認めた。

しかし他方、日本による満州国建国を認めず、満州の占領地からの日本軍撤兵と満州の国際管理を勧告した。すでに、満州国を承認していた日本政府は、1933(昭和8)年、この勧告を拒否し、国際連盟を脱退した。

5.帝国書院 p219

一方,中国は,満州事変や「満州国」の建国が日本の武力侵略であるとして,国際連盟に訴えを起こしました。国際連盟は調査をしたうえで,「満州国」を承認せず日本に軍隊の引きあげを勧告しました。しかし,軍人出身者主導の内閣は勧告に反発して1933年に国際連盟を脱退し,日本は国際的に孤立を深めていきました。

6.東京書籍 p218

中国は,国際連盟に対して,日本の軍事行動を侵略であると訴えました。国際連盟は,1933年に開かれた総会で,リットンを団長とする調査団の報告に基づき,満州国を認めず,日本軍の占領地からの撤兵を求める勧告を採択しました。これに反発した日本は,国際連盟を脱退しました。

7.日本文教出版 p227

中国が国際連盟に訴えると,連盟は満州事変の調査を行い,「満州国」の不承認と占領地からの日本軍の引き上げなどを勧告しました。この勧告が,総会において42対1で可決されると,日本政府は,1933年3月に国際連盟を脱退しました。翌年には,ワシントン会議で結んだ軍縮条約の廃棄を通告しました。

◆最後に、皆さんから批判があるとは思いますが、自由社(p231)にリットン調査団報告書の要点が載っていましたので、以下のとおり抜粋しました。

 日本が満州に有する権益は、その歴史的経緯からも、日本の経済発展にとって重要なものとして尊重されなければならない。治安の悪化と、たびたびくり返される日本製品の排斥は、それが中国国民の国民感情に支持されているものだとしても、不法行為をふくみ、国民党によって組織的に命令されており、日本の経済的利益に対して重大な被害を与えている。
 しかし、満州国の承認は、これらの解決にはならない。必要なのは、満州における中国の主権を承認し、法と秩序を維持できる政権の樹立である。

教科書を比較する➂ 開戦前の日米交渉