歴史の教科書に載っている『東京開化名勝京橋石造銀座通り両側煉火石商家盛栄図』は細かく見てみると、面白い発見があります。
*明治7(1874)年 歌川広重(3代)
◎京橋を歩いている人と人力車に乗っている人は髷を結っています。
◎京橋の車道と歩道は、細長い石材で仕切られています。
◎右端の婦人は西洋人のような気がします。
◎こうもり傘で頸が少し隠れているのは、中国人でしょうか。
◎その中国人の目の前には、人力車から手を放して客引きをしているような俥夫(車夫)がいます。
◎乗合馬車の馬には、目隠しがしてあります。
乗合馬車の側面には「千里軒」という文字が書かれ、上には旗もなびいています。
この乗合馬車を経営しているのは、浅草広小路の 千里軒 という会社で、この会社を立ち上げたのは、和歌山県出身の由良守応(ゆら もりまさ)とう人物です。
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