京浜工業地帯の教材研究をしようと、日産自動車の横浜工場のことを調べていたら、NHK取材班による「フォードの野望を砕いた軍産体制」(角川文庫)という本を思い出しました。
この本は、1925(大正14)年に設立された日本フォードについて書かれたもので、「今からおよそ半世紀前の1935(昭和10)年当時、日本で最大の自動車会社は、どこであっただろうか。」(p8)で始まります。
そして「トヨタは、まだ試作車を作っている段階であった。日産は、ようやく小型自動車の工場を建てたばかりだった。いすゞ、日野、マツダ、三菱などの前身となる会社もあるにはあったがトラックやバスを、わずかに生産しているにすぎなかった。」と続き、最後に「正解は、『日本フォード株式会社』である。」と記されています。
このフォードの工場があったのは、現在の横浜市神奈川区の守屋町であり、明治の末に守屋此助という人物が埋め立てた土地です。(p24)
この場所は、京浜急行の子安駅から見て、南東に位置しますが、横濱界隈通信というサイトに、現在はマツダのR&D(研究開発)センターの所有になっているという記述を見つけました。
上の地図を見ると、このフォードの工場があった場所のすぐ近くに、日産自動車の横浜工場があることが読み取れます。
日産のHP「日産自動車前史」には、鮎川義介が設立した戸畑鋳物(現北九州市戸畑区)は、1931(昭和6)年にダット自動車製造(株)を傘下に迎え、自動車の生産に乗り出したことが記されています。
さらに、1933(昭和8)年には、新子安の湾岸埋立地2万余坪の土地を横浜市から買い取り、同年、横浜市に自動車製造(株)を設立しました。
*この2万余坪の土地は、現在の横浜工場の敷地で、1934(昭和9)年に社名を日産自動車(株)に改めています。