私が大学生だった約30年前、確か1985(昭和60)年だったと思いますが、NHKでT.F.Iフランスが制作した L’histoire Secrète du Petrole(石油の秘密の歴史)という番組(1982年制作)が放送されました。
私はそれを録画(日本語吹き替え)していたので、いつかは石油(原油)の歴史について投稿したいと思っていました。
ようやく重い腰を上げ、今回は黎明期に焦点をあてて投稿したいと思います。
*下の動画はYouTubeに投稿してあるもので、もちろんフランス語です。
下のGoogleの地図は、世界で初めて原油が噴出した、ペンシルバニア州のタイタスビルにあったドレーク油田です。
*この油田では既に生産が停止されており、現在は博物館になっています。また、オイル川という川があることから、この辺りはオイルクリークと呼ばれていたようです。
① 1855年、タウンゼントという実業家が、エール大学の化学教授ベンジャミン・シルマンから、ランプ用として石油の使用を勧める報告書「ROCK OIL, OR PETROLEUM」を受け取りました。
*当時、ランプにはマッコウクジラの油が使われていましたが、品不足でした。
② タウンゼントはシルマン教授ともにセネカ・オイル社を設立し、オイルクリークの調査を元機関士のエドウィン・ドレークに命じました。
*ドレークは、鍛冶屋で天才的な井戸掘り人夫のウィリアム・スミスの補佐を受けて調査を行いました。
③ しかし、何度試掘してもうまくいかず、資金が底をついてしまい、1859年8月27日に作業中止が決定しました。
④ ところが幸運なことに、中止を決定した8月27日の夜中、地下20mの岩の割れ目から突然石油が噴出しました。これがドレーク油田(下写真)です。
④ このニュースを聞いた人々がオイルクリークに殺到し、オイルクリークは間に合わせの手段で堀った井戸で穴だらけになってしまいました。
*発見から1年後には、井戸の数は74になりましたが、生産量を管理できるものはだれもいませんでした。
⑤ タイタスビルの町の人口はわずか400人でしたが、5年後には1万人に膨れ上がりました。
⑥ エドワード・ロバート大佐は、掘削速度を上げるために掘削パイプの先にニトログリセリンを仕掛ける装置を発明し、大きな財産を築きました。
*金のない人たちの中に、直接、掘削パイプにニトログリセリンを注入する人がいて、悲惨な事故が多発しました。
⑦ ペンシルバニアの油田地帯は、オハイオ州の工業都市クリーブランドと鉄道で結ばれ、沿線の製油所から木製のタンク車で運ばれました。
*このタンクコンテナは、大きな樽のようなものです。
⑧ 1865年、サミュエル・バン・スティッケルという人物が、採掘現場と製油所を結ぶ、史上初のパイプラインをペンシルバニアのピットホール(Pithole)に建設し、やがてパイプラインが網の目のように張り巡らされました。
*油田 ⇒ パイプライン ⇒ 製油所 ⇒ 鉄道 ⇒ クリーブランド
◆ この後、この無秩序な石油産業を組織化する人物として、クリーブランド出身のジョン・ロックフェラーが登場することになります。