室町時代に明との間で行われた勘合貿易で使用された勘合とは、どのようなものでしょう?
下の写真は、小学6年生向けの「見える歴史」(Eテレ)で放送された映像をスクリーンショットで切り抜いたものです。
*残念なことに、この番組はもう放送されていませんし、NHKデジタル教材の頁をのぞいても内容が公開されなくなっています。
ちなみに、書かれている文字は下の通りで、宣徳八年(1433年)、明の宣徳帝の時代に、日本からの貿易船が明に持参した勘合であると想像できます。「足利義教」が第6代の将軍だった頃です。
◆この勘合についていろいろ調べたところ、これは、北海道大学の 橋本 雄 先生が、復元したもののようです。
*この先生のブログを読んで驚いたのは、渡航証明書兼貿易許可証である勘合について、その形や大きさが学界でも未解明だということです。
◆さて、私の学校では帝国書院の教科書を使用していますが、昨年度まで使っていた教科書には「正式な貿易船には,明から勘合という合い札が与えられたので,勘合貿易ともいいます。」と記されていました。
ところが、今年度から使用するようになった改訂版には「正式な貿易船には,明から勘合が与えられたので,勘合貿易ともいいます。」と書かれており、合い札という表現が削除されました。
◆私はこの番組や『さかのぼり日本史 外交篇 [7]室町 “日本国王”と勘合貿易』 を見ていたので、なぜ教科書は木の札を連想させるような表現をするのだろうと思ったのですが、今回の改訂でようやく修正されたことになります。
◆野澤道生先生(高等学校)の『日本史ノート』解説というホームページもとても参考になります。
➀宣徳要約(宣徳条約/永享条約) 1433年? or 1434年?
・貿易は10年に1貢
・船は3隻、乗組員は 300人
・刀剣は3000本以下➁貿易は朝貢形式
・交通費も滞在費も全て明が負担。
・貿易の利益に対しては非課税
・臣下が貢いだ物に対して君主は10倍返しがマナー*つまり日本の貿易船が押しかければ、明財政は破綻の危機に陥る。
*日明貿易は日本に莫大な利益をもたらし、明側に大きな財政負担を与えた。
◎ただし、➀宣徳要約は朝貢貿易を規制するものとして有名ですが、本当にこのような条件を明朝が出したのかと疑問視されており、後世の誤想だという意見もあるようです。
◆遣明船に関する研究書として、勉誠出版の『日明関係史研究入門』 アジアのなかの遣明船 というものがあります。
この書籍には➀宣徳要約については一切触れられていませんが、p13には 景泰約条 という取り決めについて記されています。
『景泰約約』 (1454年)
➀10年に1貢
➁船は3隻以内
③乗員は100人以内
◆勘合貿易については、以下の頁も参考としてください。