古代の国郡 ~ 肥前国を例に ~

律令国家の授業では、国・郡・里の行政組織について教えますが、この仕組みは大宝律令(701年)により定められたようです。

さて、古代の国郡里制については、いつかは詳しい内容を投稿したいと思っているのですが、今回は自作の肥前国の地図を使って、ほんの少しだけご紹介します。

肥前国には、上図のように、①基肄郡、②養父郡、③三根郡、④神埼郡、⑤佐賀郡、⑥小城郡、⑦松浦郡、⑧杵島郡、⑨藤津郡、⑩彼杵郡、⑪高来郡の11の郡がありました。

*肥前国は、佐賀県と長崎県に相当し、彼杵郡と高来郡、そして松浦郡の西半分が長崎県、それ以外が佐賀県です。

そして、佐賀郡には肥前国府が置かれ、発掘調査により、国庁の跡(肥前国庁跡)が明らかになり、南門や礎石等が復元されています。   *上図のの部分が国府です。

◆ 上の写真は、国庁跡(政庁跡)を平成10年に上空から撮影したものです。(佐賀市大和町)

◆ 下の写真は復元された南門です。 *2005(平成17)年11月:管理人撮影

◆ 私が作成した地図は、小田富士雄編「風土記の考古学⑤肥前国風土記の巻」を参考にしています。

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