前回のブログで紹介した「 歴史の中の鉄炮伝来 」-種子島から戊辰戦争まで- という図録に、国学院栃木短期大學の田中正弘という先生が、「武器商人の明暗」と題したコラム(p159~160)を寄稿されています。

トマス・グラバーは、開港後いち早く長崎に渡来し、当初は茶・生糸・海産物などの輸出を手がけ、文久期以降、国内政争の激化を背景に薩摩・長州などの諸藩に艦船・銃砲・弾薬を大量に販売して巨利を博しました。

そして、1908(明治41)年には、伊藤博文・井上馨らの推挽によって、勲二等旭日章が授与されています。

グラバー(1838~1911)

 

 

 

 

 

 

 

一方、同じ武器商人でありながら、スネルという人物は、明治維新の勝者に与しなかいばかりか、賊軍を支援したとして新政府より敵視されました。

このコラムには、『彼は後世の史家からも「幕末貿易界に於ける異色」、また「幕末の外人中、不良外人ナンバーワン」と悪評され、さらにオランダ・スイス・プロシアなど数カ国の国籍を称して生国が不明なことと、上海・横浜・新潟・酒田・会津・米沢・仙台の各地を股にかけた行動が神出鬼没にみえたことから「怪外人」として注目された。』とあります。

そして、「スネルは一人ではなく、兄ヘンリーと弟エドワルトの二人が相互に協力し行動していたのである」とも記されています。

*この兄弟は自由都市ブレーメンの出身かも?

兄のヘンリーは、プロシア領事館に勤めており、その書記官を辞職した後、会津藩の軍事調練をしたり、米沢藩から参謀を依頼されたりするなど、列藩同盟と深い関係にありました。

さらに、和装帯刀して日本名「平松武兵衛」と称し、軍議にも参画、新潟港の防備構築の指導や北越の実戦にも参加しました。

会津の大将(ヘンリー・スネル)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弟のエドワルトは、開港直後から横浜で種々の商売を営み、スイス領事館に勤務していました。戊辰戦争の頃はオランダ領事だと自称し、新潟港の勝楽寺を拠点に兄とともに武器弾薬の売り込みをしました。

グラバーと坂本龍馬は討幕と維新の功労者だといえるのでしょうが、最近、否定的な意見や陰謀説も聞くようになりました。

同じ「武器商人」つまり「死の商人」でありながら、勝ち組に味方するか、負け組に味方するかで、後世の評価には大きな違いがあることを思い知らされます。

幕末に流入した歩兵銃(小銃)について