学校では「教養」という言葉を意外と使わないものです。これは、生きる力(知・徳・体)が学校現場で重視されるようになったからでしょうか。

だれもが「物知り」と呼ばれるよりも「教養豊かな人」と呼ばれるた方がうれしいと思います。

私が教養という言葉を聞いて連想するのは、「博識・博学」「知恵」「知識人」「礼儀・作法」「人格」「品格・品位」「修養」「文学」「歴史」「音楽」「芸術」等たくさんあります。また、「~立ち居振る舞い」「~身のこなし」というのも浮かんできます。

文部科学省の見解はどうだろうと思って調べたところ、中央教育審議会が平成14年2月に「新しい時代における教養教育の在り方について」という答申を出していました。

抽象的ではあるのですが、上手にまとめられていると思いますので、最初の部分を転載します。

教養とは,個人が社会とかかわり,経験を積み,体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける,ものの見方,考え方,価値観の総体ということができる。教養は,人類の歴史の中で,それぞれの文化的な背景を色濃く反映させながら積み重ねられ,後世へと伝えられてきた。人には,その成長段階ごとに身に付けなければならない教養がある。それらを,社会での様々な経験,自己との対話等を通じて一つ一つ身に付け,それぞれの内面に自分の生きる座標軸,すなわち行動の基準とそれを支える価値観を構築していかなければならない。教養は,知的な側面のみならず,規範意識と倫理性,感性と美意識,主体的に行動する力,バランス感覚,体力や精神力などを含めた総体的な概念としてとらえるべきものである。

◆ ところで、なぜ教養について投稿しようと思ったのかと言えば、たまたま、榊原 洋一 という方のブログ「教養ってなに?」を読んで、この先生の独特の教養論に心が引かれたからです。

このブログでは、英国の地主階級(19世紀初頭)にとっての教養について触れられおり、最後のところがとても印象的です。

中学高校時代の私は、受験勉強などで暗記する知識の切れ端(世界の地図、川の名前、歴史事実など)は、「真の教養」とは全く違うものであると信じていました。でも、少なくとも私が憧れたイギリスのジェントルマンの「教養」は、私が受験勉強で覚えた詰め込み知識とそんなに変わらなかったのではないか、と今になって思います。社交界でうまく振る舞うことも、試験に合格することも現実生活に必要な業であるからです。皆さんは、私のやや偏った「教養」論をどう思われるでしょうか。

◆ 次回は、『これが「教養」だ』(著:清水真木)という本を元に、教養の歴史について少し触れたいと思っています。

教養とは何か ② ~ 18世紀に生まれた教養 ~