皆さんは「いつ頃、大名たちは参勤交代をしたのだろう?」と疑問に思ったことはありませんか。

以下、別冊宝島「実録参勤交代」歴史人「大江戸 武士の暮らし図鑑」 を参考にまとめてみました。

◎幕府により交代の時期が定められていたので、江戸に参府する大名行列と、逆に国許に帰る大名行列が重なり、道中はかなり混雑したようです。
*全国に大小合わせて約300の藩が存在し、150藩の大名が江戸に、残りの150藩の大名が国許に居て、それらが毎年交代したということになります。

◎寛永12年(1635)の武家諸法度には「毎歳夏四月中、参勤致スベシ」と記されており、外様大名は毎年4月に参勤することが義務付けられました。

◎寛永19年(1642)の制度改革で、譜代大名にも参勤交代が拡大され、毎年6月8月がその時期とされました。
*もともと譜代大名は常府でしたが、全国規模で発生した 寛永の大飢饉(1641~1642) の対策として、譜代大名が国許に帰ることを制度化したことによります。
*疲弊した領国の経営をさせるための措置だったようですが、譜代大名にとっては費用がかさみ、有り難くない改革でもあります。

◎参勤交代には、次のような例外がありました。
・水戸藩の藩主は江戸に常府することが認められていた。(つまり水戸黄門は参勤交代をしていない。)
・譜代大名で、老中や若年寄などの幕府の要職に就いているものは参勤交代が免除された。
・御三卿(一橋、清水、田安)は10万石格であったが、自前の領地を持たなかったため常府であった。
・対馬藩は3年に1度、松前藩は5~6年に1度の参勤。
・江戸に近い関東の譜代大名は半年ごとに交代。(6月と2月が交代時期)

★ここまで書いてきて、ふと疑問に思いました。親藩(水戸藩以外の御三家を含む。)の参勤交代はいつ頃だったのだろう。ご存知の方は、教えていただけませんか?

参勤交代をどう教えるべきか⑤「お目見え登城」