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長崎の古地図からみた鎖国➁『唐人屋敷』

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◎下の地図は、前回投稿した長崎の古地図です。
*この古地図は、出島とポルトガル船が描かれていることから、1636年~1639年の長崎を描写したものと推定できます。

◎長崎といえば中華街が有名ですが、この古地図に中華街が描かれていると思いますか。

長崎中華街
*寛永長崎港図

➊ 答えは、No です。なぜなら、この地図は1636年から1639年の長崎を描写しており、キリスト教徒でない中国人は、日本人との雑居が認められていたからです。

➋ 長崎奉行所が中国人の居住地区を制限するようになるのは、激増する密貿易を防ぐために十善寺郷に唐人屋敷がつくられてからです。
*唐人屋敷は1688年に建設が始まり、翌年完成。建設費は、長崎の町人が負担しました。周囲は堀と塀で囲まれていました。

➌ 唐人屋敷は何処にあったのでしょうか。私は下図のように推定しています。

長崎中華街と唐人屋敷の想定地

➍1698年の大火で、五島町や大黒町にあった中国船の荷蔵が焼失しました。
*現在の長崎駅付近で、唐人屋敷からはかなり離れています。

➎そこで、唐人屋敷の近くに荷蔵を置くために、唐人屋敷の西側の海が埋め立てられました。この場所に、現在の長崎新地中華街があります。
*唐人屋敷は、1784年(天明4年)の大火により関帝堂を残して全焼。この大火以後唐人自前の建築を許されますが、1859年(安政6年)の開国後廃屋化、1870年(明治3年)焼失。

長崎版画享和二年肥州長崎図
*長崎版画「享和二年肥州長崎図」 享和二年は1802年
*この地図では、出島埋立地(現:長崎新地中華街)、唐人屋敷が確認できます。

➏ 1859年(安政6年)の開国により、外国人居留地の造成が始まる。
*1863年(文久3年)には、居留地に広馬場町、梅ケ崎町、常磐町、大浦町、下リ松町、東山手町南山手町の7町が設けれた。

➐明治以降、オランダ人が居住していた出島と、中国人の荷蔵があった埋立地の周辺は埋め立てられ、現在に至っています。

現在の長崎市

*ランタン祭りのパンフレットの地図も参考にしてください。 2016年 長崎ランタンフェスティバル

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