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長崎の古地図からみた鎖国➀『出島』

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下の古地図は 長崎歴史文化博物館 に展示してありますが、いつ頃の長崎が描かれていると思いますか。

推理のポイントは、➊出島、➋船の旗です。

寛永長崎港図
*寛永長崎港図
*「内町」をあらわす白と「外町」をあらわす赤のの二色に分けられている。
*内町は長崎奉行所の支配地で、土地に係る税金が免除されている。

➊ この地図には出島が描かれている。
➋ 船の旗は、オランダではなくポルトガルのものである。

◎以上の➊➋を踏まえ、次の歴史的事実と照らし合わせて考えてください。

(1) 出島は幕府が長崎の有力者に命じて、1634年から2年の歳月をかけて作らせた人口島である。

(2) 1636年には貿易と無関係なポルトガル人を追放し、残ったポルトガル人を出島に移した。
*1543年、ポルトガル人が種子島に漂着。
*1550年、ポルトガル船が平戸に初めて来航し、本格的な南蛮貿易が始まる。
*1616年にポルトガル船の入港を長崎と平戸に制限。

(3) 1637年に島原・天草の一揆がおこり、幕府は、1639年にポルトガル船の来航を禁止した。

【結論】

➀出島が存在するということは1636年以降であり、ポルトガル船が描かれているということは、鎖国が完成する1639年以前ということです。

➁つまり、この古地図は、1636年から1639年の間の長崎の町を描写したものという結論が導き出せます。

★この地図の出島には、オランダ人ではなくポルトガル人が居住していたということになります。

★ちなみに、オランダ商館は、1641年に平戸から出島へ移されています。

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