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秀吉の太閤検地をどう教えるべきか?

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豊臣秀吉の太閤検地について、皆さんはどのような視点で授業をされていますか?
私なりに次のように整理してみましたが、➍の意義を教えることがなかなかうまくいきません。
どうすれば子どもたちに理解してもらえるか、とっても悩んでいるところです。

➊ 太閤検地の目的

・武士に対して、その領地の石高に応じて軍役(人や馬など)を果たす義務を負わせるため
・農民から確実に年貢を徴収するため

➋ 検地の実施方法

・物差しや枡を統一し、田畑の広さや収穫高を調べ、石高という単位を使用しました。
・帝国書院の教科書には『京枡』が載っています。縦横は約14.8cm、高さは約8.2cmの説明付きです。
・この教科書には検地尺も載っていて、6尺の竿が検地に用いられたと記されています。(1尺は約30.3cm)

NHK for school をのぞいてみてください。太閤検地で使用された 京枡と物差し の動画を見ることができます。

➌ 検地奉行について
http://afro.s268.xrea.com/cgi-bin/History.cgi?mode=text&title=%91%BE%8D%7D%8C%9F%92n

★検地実施の際には、秀吉の文治派の側近たちが検地の役人として職務を遂行しています。
*浅野長吉(長政)、石田三成、増田長盛、長束正家、片桐且元、小堀新介など
*紀伊では小堀新介が、日向・大隅・薩摩では石田三成が、越前では長束正家が、それぞれ惣奉行に任命されています。
★奉行のもとには帳付・竿取・見付役などの「下役」がいて、実際の検地業務を行いました。その際、各村の「庄屋・名主」らが検地役人の案内役を勤めました。
★以上の他に、秀吉の意図にそって諸大名が検地する場合もみられました。
*加藤清正による肥後検地、毛利輝元による中国地方の検地、蒲生氏郷による岩代(福島県)検地など

➍ 太閤検地の意義

◎帝国書院の記述
検地帳には、検地の内容とその土地を実際に耕作している農民が記されました。これによって、貴族や寺社はそれまでもっていた土地の権利を失い、中世から続いた荘園の制度は完全に崩れました。

◎東京書籍の記述
秀吉は、公家や寺社などの荘園領主や有力農民がそれぞれ持っていた土地の複雑な権利を否定し、検地帳に登録された農民だけに、土地の所有権を認めました。

★ 荘園のもとでは、1つの土地に何人もの権利が重複していましたが、検地帳には実際に耕作している農民の土地と屋敷地が石高で登録されました。

★ このことにより、領主(公家、寺社)、在地地主(国人)、有力農民(名主)の所有権が否定され、耕作者(作人)の所有権が認められました。

★ ということは、➍の意義について説明するためには、私たち教師は、中世の土地制度をしっかりと理解しておく必要があります。
しかしながら、荘園制度や名田は難しいですね。

★高校の先生の興味深いブログを見つけましたので、参考としてください。

『田堵と負名と名主の違い』

『設問「太閤検地の歴史的意義について記せ」!』

★それから、私が『惣村』に関してつくった教材も参考になると思います。

室町時代の農村 ~自治組織『惣村』~

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