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品川台場と佐賀藩の鉄製大砲50門

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幕末の諸藩の改革や、薩長土肥などの雄藩の成長について教えるとき、佐賀藩の 反射炉 と大砲の鋳造を授業の導入に使ってみてはいかがでしょうか。

多布施公儀石火矢鋳立所  財団法人鍋島報效会

お台場と言えばフジテレビを連想しますが、お台場は、ペリー来航の後、江戸湾の防衛強化のために築かれた 品川台場 があったところです。

老中阿部正弘の命を受けた伊豆韮山の代官 江川太郎左衛門 により、1853年(嘉永6年)8月から1854年(安政元年)5月の間に5基が築かれました。

*第➀・②・③・⑤・⑥台場の5基が完成、第④・⑦台場につては工事中断のため未完成。

*台場の具体的な位置については、ブログ「城とか陵墓とか」品川台場 という頁が参考になります。

幕府は、大砲の鋳造の実績のある佐賀藩に鉄製大砲50門を注文し、佐賀藩は多布施公儀石火矢鋳立所で大砲鋳造にあたりました。

佐賀藩は、安政2(1855)年までに26門(うち8門は運送中に沈没)、安政6(1859)年までに32門を納品し、50門のうち42門が品川台場に配備されました。

◆ 佐賀藩は既に佐賀城の北西(長瀬町)にあった 築地反射炉(ついじはんしゃろ) (現:日新小学校)で大砲を鋳造していましたが、幕府の注文に応えるため、新たに多布施公儀石火矢鋳立所を設置しました。

*佐賀藩が納品した50門は、残念ながら1つも現存していないようです。

*築地反射炉から多布施反射炉までは歩いて約10分です。(上図)

佐賀城下絵図と現在の市街地  多布施反射炉・精錬方

◆ 第10代藩主鍋島直正は、安政3(1856)年2月に品川台場を訪れており、そのときの様子を描いたのが 鍋島直正品川台場巡視之図 です。

◆ 佐賀県では今年、2018(平成30)年が幕末維新150年ということで肥前さが幕末維新博覧会が催されています。佐賀城本丸歴史館には大砲のレプリカが展示してありました。

24ポンドカノン砲(複製)  佐賀城「鯱の門」

◆ 説明書

佐賀藩10代藩主鍋島直正は、嘉永3(1850)年、築地に反射炉を築き、日本で最初の鉄製大砲の鋳造に成功しました。更に幕府から注文された50門の鉄製大砲を品川の台場に設置しましたが、残存例は現在のところ確認されていません。この大砲は、1820年頃アメリカで製造されて幕末に輸入され、かつて東京都渋谷区の旧鍋島邸に置かれていたもの(現在は戸栗美術館蔵)を原型とする複製品です。

◆ 複製された大砲の背景にあるのは、佐賀城本丸の鯱の門です。この門には1874(明治7)年におこった佐賀の乱のときの弾痕跡が今も残っています。(下写真)

佐賀城本丸 鯱の門の弾痕跡

鯱の門の図面(正面)

佐嘉小城内絵図  慶長年間

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