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勘合貿易⑦ 寧波から北京へ朝貢の旅

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◆遣明船に乗船した一行は、どのような経路で北京まで朝貢の旅をしたのか気になりませんか。

以下、勉誠出版の『日明関係史研究入門』 アジアのなかの遣明船を(p205~)参考に見てみましょう。

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➀ 日本を出港した遣明船は、寧波近くの船山群島にたどり着く。

➁ 船山群島で明の巡視船に発見され、その案内で寧波府城外の港に投錨する。

③ 遣明使節の寧波に入城は、速やかに北京に報告される。

➃ やかて北京から上京の許可が届く。

➄ 遣明使節は、主に運河を利用して北京まで上京する。

◆ただし、遣明船に乗船した者の全員が、京師(帝都)まで上京したわけではありませんでした。(p263)

◎朝貢をするのは正使を初めとする役僧らで、皇帝の許可を待って、大運河で北京(永楽帝以前は南京)に上京した。

◎つまり客商ら大部分の人員は寧波にとどまり、附帯貨物の売却や商品の購入などを行った。

◎また、役僧らも上京の許可が下りるまでは寧波に長く滞在したので、彼らが日本にもたらす文物・典籍類も寧波出自のものが多かった。

◎寧波の港に投錨し、朝貢の使節が上京し、再び寧波に戻って船に乗り込むまで、日々の食料や日用品の全てが明側から支給されました。(p205)

◎日本からの朝貢使節の北京における宿舎は、朝鮮・琉球など同じ 会同南館 が割り当て割れました。そして、北京での滞在費はもちろん、運河の旅における船の手配、さらには人夫や食料の提供も明朝によるものでした。(p206)

会同館とは、京師(帝都)にあった国内外の諸々の使節を宿泊させるための施設で、北館南館がありました。

勘合貿易⑧ 北京にあった『会同館』

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