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イギリスの三角貿易 ~ 奴隷貿易とリバプール ~

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イギリスで産業革命が起こった要因の一つとして、三角貿易による利益と富の蓄積があげられます。

ビートルズで有名なリバプールは、意外なことに奴隷貿易と深い関係があります。そして隣町のマンチェスターは、リバプールの奴隷商人たちの投資により、産業革命を牽引する工業都市へと大きく発展しました。

ヨーロッパ・アフリカ・カリブ海のトライアングルで行われた三角貿易の主要な商品は、奴隷と砂糖、そして鉄砲・ビーズです。

私は、奴隷貿易について子どもたちに説明するときに、次のような話をしています。

・ヨーロッパの商人はアフリカに行き、勢力の強い国と仲良くなりました。
・ヨーロッパの商人が、その勢力の強い国に鉄砲やビーズを売ると、飛ぶように売れました。
・彼らは、アフリカのその強い国に、奴隷がほしいともちかけました。
・その強い国は、近くの弱い国に戦争をしかけて、たくさんの人を捕まえました。
・ヨーロッパの商人は、強い国からたくさんの奴隷を仕入れました。
・この奴隷はカリブ海へと運ばれ、サトウキビ農園で働かされました。

◆ さらに、イギリスで生産された綿織物(綿布)もアフリカへの重要な輸出品でした。

ネットで、マンチェスターの栄光と没落そして再生(西川技術士事務所-西川 尚武)というサイトを見つけました。以下はそれからの転載です。

大英帝国は黒人奴隷をどのようにて、アフリカ大陸の奥地からだまし・拉致してきたのでしょうか。実は、赤く染めたインド製綿キャラコを黒人部落周辺に仕掛けて置いて、黒人を巧妙に海岸までおびき寄せ強引に強制拉致していたのです。

やがて奴隷貿易で必要な赤く染めたインド綿キャラコは、インドから輸入する量だけでは需要に応じきれなくなり、英国自らが原綿を輸入し綿製品を自国で生産する必要が生じてきたのです。三角貿易で儲けたリバプール港大商人達は莫大な資本を隣町マンチェスターに綿製品を自国生産する工場や機械に投資し、マンチェスターを綿繊維工業の中心地にさせたのです。

 

 

◆ リバプールには、奴隷貿易をしのばせる地名がたくさんありますが、『リバプールとマンチェスター 世界史小ネタ第40回』というサイトに詳しく書かれていました。以下はそれからの転載です。

小さな漁村にすぎなかったリバプールは、17世紀末から突如膨張し始めます。理由は「奴隷貿易」。アフリカの奴隷を買い付け、新大陸に売り飛ばす。このビジネスのうまみを知った村の人々はたいした持ち合わせがなくても争って奴隷商の看板を掲げたとか。村は瞬く間にフランスのマルセイユやナントと並ぶ、有数の奴隷貿易港に発展しました。

リバプールの町には当時をしのばせる地名がたくさん残っています。「Bold Street」 はJonas Bold、「Cunliffe Street」はFoster Cunliffeという代表的な奴隷商にちなんだ名前。「Goree」は 奴隷取引所があった場所ですが、奴隷の供給元であった西アフリカのセネガルの地名。「Jamaica Street」は1655年に力づくでイギリスが植民地にしたカリブ海の砂糖の最大の供給地。リバプールを出航した奴隷船の最終目的地でもありました。

◆ 有名な讃美歌「アメージンググレース」は、奴隷貿易の乗組員だったジョン・ニュートン(1725~1807)が作詞したものです。

30歳のとき、ジョン・ニュートンは病気をしたことで船乗りを辞め、リバプールの潮流調査官を1755年から5年間務めました。その後、聖職者としての道を歩み、詩人のウィリアム・クーパーと共同で書きあげた讃美歌を、1779年に「オルニー讃美歌集」として発表しました。

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